ネメシア(開花期3月~6月、9月〜11月)
 冬の訪れとともに花が少なくなってきました。そのなかでネメシアは可憐な姿を見せています。
 
 「ネメシアはガーデニングの国イギリスでよく栽培されています。透明感のある色をして、ランの仲間と間違えそうです。ハンギングや寄せ植えにもピッタリで、たいへん人気があります」(朝日新聞くらしのページから)の記事を読んで園芸店で購入しました。
 庭にしっかりと根付いています。

       【寒さにめげず咲くネメシア 11月末撮影】

●12月31日(日)感謝

 HPが重たくて、壊れそうです。ご愛読ありがとうございました。来年もよろしくお願いします。

●12月30日(土)青色申告
 
 最後の仕事が青色申告です。そのため、決算書を作成することです。月次の数字は10月まで整理していたが、11月と12月は仕事が忙しく、放っておいたからたいへんである。
私の住んでいる市では起業家をサポートするためにに1年目は無料で税理士を自宅に年4回、派遣してくれる。2年目も来てくれることになり、新年早々に手伝ってくれる。決算の方は赤字ですが・・・。

●12月29日(金)旧友と忘年会
 
 仕事終いの昨日、友人と一献傾けた。

●12月28日(木)過労死

 TV会社の友人からメールが届きました。放映は1月21日(日)毎日放送深夜12時30分です。

 「今回のテーマは、過労死認定です。
 一人は、激務の末自宅で倒れ、下半身の自由を失ったものの、労災認定されない男性。
もう一人は、過労死した夫の残業時間が認定作業の中で削りに削られ、労災と認められず仕事と子育てに追われながら裁判を闘う女性です。

 国際競争力の名のもとに労働環境が悪化し続ける日本の貧困、国の無策を糾弾する番組になれば、と思っています。
 お忙しいでしょうがぜひ、ご覧頂きまた、感想をお聞かせいただければ幸いです。よろしくお願いします。」


●12月27日(水)高校ラグビー

 全国高校ラグビーが27日から花園ラグビー場ではじまった。例によって、相方の故郷、熊本工業の応援に出かけた。今年は母校が決勝で惜敗、こられなかったので熱が入らなかったようだ。試合は流経柏に43:7で大敗した。母校に贈るトライ君の人形を買って、来年に期待していた。


【写真右側、黒のジャージが熊本工業】



●12月26日(火)夕張市の財政

 参議院議員の森元恒雄さんから「国会だより」がとどきました。いま話題の夕張市についての報告です。ここに掲載します。
  
 夕張市の財政

 人口1万3千人、予算規模約114億円の夕張市が、360億円にのぼる巨額の赤字を抱えるに至り、法に基づく財政再建に踏み切ることになりました。

1.
 市の財政規模に比べ赤字額が余りにも膨大なため、これからの財政再建の道のりは決して容易なものではありません。仮に国の同意を得て再建に取り組むとしても、国や道から多くの財政支援を期待することはできません。再建計画の成否はあくまで市の自主的な努力で歳出削減、歳入増をどこまで達成できるかにかかっています。市の職員はもとより、住民にも多大の負担と犠牲を強いることになります。そして、再建に要する期間も20年間と相当長期にわたることが見込まれています。

2.
 何が原因でこのような膨大な赤字を抱えることになったのか。どうしてもっと早い段階で事態の悪化を食い止められなかったのか。部外者には分かりにくいところがあります。
 かつて炭鉱の町として栄えた夕張市は、ピーク時10万8千人弱の人口を擁していましたが、昭和50年代以降炭鉱閉山が相次いだ結果、現在人口は1万3千人まで激減しています。
 このため、炭鉱に代わる新たな産業興し、地域振興策として、市が自ら事業主体となってレジャー施設やリゾートホテルの運営などの観光事業に乗り出したことが、今日の財政破綻を招いた最大の原因であると思われます。

 地域の産業を盛んにし、町を発展させること、そして住民の生活の向上安定を図ることを使命とする市が、炭鉱に代わる産業興しに奔走することは当然のことでありますし、夕張市当局の果敢な挑戦は当時高く評価されてもいました。問題はその手法にあったと思います。「目的は手段を正当化せず」であります。

 租税権を有し、倒産することがない国や地方自治体は、リスクが伴う収益事業には基本的に手を出すべきではありません。昔から「武家の商法」と言われるように、お役所、お役人の仕事は収益源である利用者確保の面で、民間に比べマーケティング力や営業力が劣り、またコスト意識が極めて弱いからです。まさに「民間で出来ることは民間に」であります。

 例えば、新たに観光事業を興そうとするなら、まず事業主体となる民間事業者を募るべきでありますし、民間が独力で事業を運営することができない場合には、予め定めたルールに基づき一定限度内で財政支援することを考えるべきであります。それでも事業主体が見つからない場合には、事業を断念せざるを得ないのではないでしょうか。もし、どうしても事業を実施せざるを得ない事情があり、市自らが事業主体にならざるを得ない場合でも、市が負う責任の範囲は出資金を限度とし、事業主体が借入れる債務には決して損失補償しないことを前提とすべきです。
 公営企業や3セク事業など地方自治体が行う事業には基本的に自己資本の概念が存在せず、事業に必要な資金は全額借入金で調達すること、そしてその借入は市の信用力をバックにして行われており、貸手である金融機関も事業そのものの収益力、採算性については、ほとんどノーチェックに近い状態であるところに根本的な問題があります。

3.
 夕張市の財政悪化がここに至るまで表面化しなかったのは、市の第3セクターや公社が事業主体となって多額の借入をしていた部分が市の財政状況に直接的な形で反映されていなかったことと、加えて市自らが公営企業会計を立てて観光事業を営み、そこに多額の累積赤字を抱えていたにもかかわらず、その赤字に伴う資金不足を市の一般会計からの貸付金で措置し、その原資として金融機関からの一時借入金を充てていたこと、しかも、本来一時借入金は年度内に返済しなければならず、年度を超える借入金は長期の債務となり、その借入れには議会の議決、道の許可が必要であるにもかかわらず、出納整理期間を悪用して、実際には年度を超えて借入れているのに、あたかも年度内の借入であるかのように決算処理して来たところにあります。
 このように決算処理すれば、形式的には一応辻褄が合っているため、部外者には一見しただけではその実態が分かりづらいということがありますが、市当局はもとより、市議会としても、一般会計や公営企業会計に何故これほど多額の一時借入金があるのか、それは何のための借入金であるのか、その実態は当然分かっていたはずだと思います。バブル崩壊後の景気の低迷など様々な悪条件が重なった結果、ここまで事態が悪化したのだと思われますが、市自らが事業主体となっているものはもちろん、第3セクター事業や公社事業についても市が損失補償しているものに対する市の責任は免れず、その負担は結局市民に回ってくることを考えれば、もっと早い段階で実態を全て明るみにして、その打開を図るべきであったと言えるでしょう。  (参議院議員 森元恒雄)





●12月25日(月)
野鳥

 名カメラマンを目指す堀さんからの作品です。ご覧ください。

 「今日はクリスマス、自然のプレゼントを期待して万博公園へ。さすがに人が少ない。フィールドスコープを持った野鳥観察グループと私のようにカメラ片手の個人観察人ばかり。

  人出が少ないとこんなに多くの野鳥がと驚くばかりでした。メスのジョウビタキ、見返り美人。アトリは枝が邪魔して。
  突然、目の前に来たルリビタキ。慌てて写した一枚。せっかくのチャンス、悔やまれました。写真に関しては、佳作が一つと入選が一つ。なんとなく、これからの楽しみを作れそうです。もう一年遊んでから中級と上級を目指します。

(使用しているレンズは)望遠は300mmと400mmです。(今後、ほしいのは)500mmもそしてフィルドスコープもと際限が有りません。

 私の見るアトリは、何時も高い木の上で枝が被さり写真になりません。今回も逆光です。補正をして写しました。ルリビタキはその補正を直す暇なく写したので残念です。
 失敗しながら楽しんでいます。」


【ジョウビタキの雌】





【カワセミ】




【ルリビタキ】




【アトリ】




12月24日(日)生駒山麓〜石切神社散策

 
 ノロウイルスからやっと立ち直り、久しぶりに生駒山麓から石切神社を約3時間散策しました。山には小鳥がたくさんいました。メジロ、ヒヨドリの大群に出くわしました。ほかにキセキレイもいました。18〜180ミリのズームではトリミングしないと、小さくてダメですね。

 日曜日の山も神社も、年末は人気が少ないです。お正月の準備で忙しいのでしょう。


【冬山の紅葉―枚岡神社で撮影】

【枚岡梅林の白ツバキ】


12月23日(土)
『実践経営哲学』
  
 いま『実践経営哲』を読み返している。この本は松下電器の中村会長が社長に就いたとき、擦り切れるまで読んだ本だそうです。それを支えに改革を断行、V字型回復を成し遂げました。すばらしい本です。
 
 

12月22日(金)義士討ち入りの日づけ

 高島俊男著『お言葉ですが』(文芸春秋)には興味深いエッセイがまとめられている。これはかつて週間文春に連載されたものを単行本にしたもの。

 今回は「義士討ち入りの日づけ」からその一部を紹介しよう。
 討ち入りは元禄15年12月14日である。野口武彦先生の『忠臣蔵―赤穂事件・史実の肉声』(ちくま選書)には、西暦を加えて、<元禄15年(1702)12月14日の深夜・・・・>とある。これに限らず、たいがいの本にはそう書いてある。こう書くと討ち入りは1702年の出来事と思われる。実はすでに1703年である。
 平成8年は1996年と同じである。こうピッタリ重なるのは明治5年に西暦を採用して以後のことで、元禄15年と1702年はだいたいにおいて重なっているが、だいぶズレがあるーという。
 
 このような話が一杯書かれた本です。


12月21日(木)
久保惣美術館

 今回で4度目です。今回は名誉館長のインタビューです。これは季刊誌に収録します。ここに茶室(といっても一軒家)に、戦時中、松下正治・松下電器元社長が工場長時代、一家で住んでいたそうです。


【美術館に併設されている茶室の内部から庭を撮影】

12月20日(水)秋バラ

園芸店
で万葉とカクテルのバラを買いました。万葉はオレンジがかった深みのある黄色いバラ(写真)。カクテルは一重の中心が黄色で周りが赤の蔓バラです。


【庭に植えた万葉】

12月19日(火) 火の国の火の女(投書の反応



 だいたい相方(女房)の新聞記事を送る亭主のバカ面を見たいものだといわれそうですが、知人のなかでも女房と面識ある人に限って近況報告のつもりで読んでもらった。したがって、概して辛辣なコメントはありませんでしたが、しいてあげると「火の国の火の女」です。まさにあたっています。記録に留めるため一部を記載します。

 定年後はほとんど在宅していますので、こういうことは我が家では大きな出来事になります。
 投書は12月17日の日記に転載しています。

【コメント】
「メール有難うございます。投書欄は拾い読み程度でしたが、背後を垣間見ると納得します。新聞社と読者との糸となって。見る目が変わります。投書の内容には、私も熱さを感じます。花園ラグビー場には当社が直ぐ近くで工事をしているので、子会社の私もちょくちょくラグビー場へ。声援等その姿が浮かびます。青春の仲間入りですね。」
 (この方へは今回の投書の様子を細かく伝えたので、このようなコメントになったと思います)
 その一部は「水曜日の午後3時過ぎ、執筆、5時に係りへメールで送信。 その夜、8時30分、デスクから自宅の執筆者に問い合わせのTELが入る。『日曜日か月曜日には掲載しますので、後ほどゲラ送ります』と。9時にFAXでゲラが送られてきて、執筆者は確認の電話を入れる。 これで作業はすべて終わり。」―とういうような内容です。

「奥様は文章を書くことも慣れた感じですね。それにしても、ラグビー部とは何か関係があるのですか?マネージャーだったとか?
  なんだか、ただならぬ熱の入れようですね。 僕は、ラグビーマガジンを愛読しているので、荒尾高校が熊工に敗れ、今年は残念ながら、花園出場がならなかったことは知っていました。 何十年も続けて出場するより、何年かに1度の方がその喜びは増すのでは?など
と、母校にラグビー部のない僕は気楽な立場です。 次を期待しましょう。
 
  今日、瑞穂へ全国大学ラグビー1回戦、東海大学対立命館、慶應対同志社の試合を
観戦に行ってきました。  今年の同志社は・・・・という感じでしたね。
  どの学校も名古屋という土地とは直接関係はないのですが、スタンドは満員でした。
  あちこちで、先輩・後輩の輪ができているのを見て本当にうらやましく思いました。
  学生スポーツはいいですね。」

 「貴重な情報を有難うございました。それよりも同志社が1回戦敗退とは驚きました。
慶応もそれなりに強いことの証左でしょう。明晩、部長一歩手前の朝日人と飲みます。」

 「掲載文読ませていただきました。ふるさとの若者との交流、いいですねえ。人間、疎外されることが病気よりも苦痛であると聞きますが、きっと、奥様はすばらしい人生の生きがいを、ふるさとの若者との交流を通して手に入れられたのでしょう。

 私も良き友と「お互いさんや」的精神で、互いに頼り、頼られる関係で長く付き合えたらと思います。」

 「ありがとうございました。奥様に熊本への想いを持って頂いて、うれしく存じました。」(熊本在住の人)

 「ご連絡を有難う御座いました。さすが達者な文章をお書きになりますね。まさに、随
筆のお手本、教科書になると思いました。火の国の火の女の片鱗も見せていただきました。」(元書籍編集部長)

 「ご無沙汰していますが、お元気でご活躍のことと存じます。メール、有り難うございます。奥様が朝日新聞に投稿された記事、読ませていただきました。母校、ラグビー部への熱き思いが、素直に伝わってくる大変読みやすい記事でした。」

 この後の「また、お出会いできる日を楽しみにしております」という一文で一献傾けられる口実ができました。

 無理やりに読んでもらったことで、恐縮しています。ご容赦を。


12月18日(月)
オートシェイプ

 
昨日、今年最後のパソコンクラブがあった。オートシェイプでクリスマスツリーの描き方を習った。初めてやったが、結構、楽しいことがわかった。作品を転載できないのが残念ですが、豆電球のチカチカもつくれるなど、PCの奥は深いですね。
 残りの時間は、それぞれのパソコンの活用について話し合った。こういうことは一般のパソコン教室では学べないことで貴重な経験になりました。


12月17日(日)「ひととき」欄に掲載される

 朝日新聞文化面の「ひととき」欄に先日、相方が投書した文が掲載された。この欄は応募者が多くなかなかの激戦だと聞く。

 水曜日の午後3時過ぎ、体調を崩しているのに、やおら執筆。その日の5時に係りへメールで送信。「どうなるかしら。2,3日後に連絡がないとボツでしょうね」と送ったあとで原稿を読み返している。
 その夜、8時30分、専任のデスクから自宅の執筆者に問い合わせのTELが入った。
 「日曜日か月曜日には掲載しますので、後ほどゲラ送ります」
 9時にFAXでゲラが送られてきて、執筆者は確認の電話を入れる。
 これで作業はすべて終わり。掲載される時は、こんなものである。
 
 ここに掲載紙(2006年12月17日付朝日新聞朝刊)を転載します。ご一読いただければ幸いです。




12月16日(土)
豊田正子の綴り方教室

 
豊田正子の『綴り方教室』を読んだ。小学生3年で書いた「うさぎ」が雑誌に掲載され一部問題になった。それにしても貧しくて本もろくに読んでいない子供が、作文指導の先生の教えで、これほどの文が書けたことに驚かされる。
 文章はその人の観察眼(感性)の鋭さによると、あらためて思った。一つの事象をどこまで観察できるかは、もって生まれた能力だと思う。ある程度までは、努力でいけるだろうが、限界がある。作文の天才だといわれたことがわかる。
 


12月15日(金) ノロウイルス

 
二人そろって今、大流行のノロウイルスによる風邪にかかったようだ。この日も病院に行きました。私は激しい下痢が3日続いたあと、3日間便秘状態になる。相棒は下痢が続き食欲がない状態。
 病院には風邪の患者が40,50人待っていた。病院で診てもらうのも大変である。倒れる人もいる。
 私は病院のトイレで便が出たので診察を取り消してもらった。すぐ了解してくれた。相棒はノロウイルスでは?と聞いても、「そうかも」という程度で、特定しない。6種類も薬を2週間分、与えられた。
 健常な人ならノロウイルスの風邪でも3日で治るそうだから、年をとったということか。



12月14日(木)野鳥の写真
 堀さんから12月3日に届いていました野鳥の写真です。よく見る野鳥でもなかなこのようにきれいには撮れません。堀さんのこれからが楽しみです。

「万博でアトリやアカハラが見れると聞き、例によって行きました。残念な事にこれらは見れないでカワセミとオオルリは見れましたが撮れませんでした。
 冬、定番のジョウビタキとツグミが撮れました。またまた雨に遭い、早々と退散しました。」




【ツグミ】


ジョウビタキ


12月13日(水投書

 まだ体調が回復していない相棒が新聞へ投書。どうなるか楽しみである。

●12月12日(火)美術館
 和泉市の美術館へ事前取材に出かけた。朝9時30分の約束。体調が良くない相棒の運転で雨の中、なんとか取材はできた。ところが帰宅すると、相棒はダウン、ICコーダーに録音もされておらず、がっくりである。

●12月11日(月)研究者からベンチャー社長へ
 午後から京大桂キャンパスへ取材です。自分が発見したものを今度は事業化しようと60歳を過ぎて第2の人生を歩まれている方です。
 
 取材が続きますが、少し元気になり、なんとか乗り越えようと思っています。結局、自分の年を忘れ出張などハードな仕事が重なり、疲れが出たようです。今年、大流行のノロウイルスかも知れません。病院では土曜日であったため、検査をしていません。

●12月10日(日)仕事
今日も資料の整理などで一日中、仕事です。まだ調子が戻りません。

●12月9日(土)大学時代の友人宅訪問
 朝、病院で診察を受けると、風邪という診断(今年の風邪は腸にくる)。食欲がなく、けだるさが残った。この日、大学時代の友人宅への取材下調べを約束していたが、いったんは取りやめることにしようと思ったほどでした。薬をもらい、下痢もおさまってきたので出かけました。

 10年ぶりの再会でした。友人の家では奥さんが手料理自慢で待っておられましたが、食欲がなく辞退して帰りました。(えらいショックだった様子です)

●12月8日(金)HP修復
 HPを専門家に依頼して修復。少し費用がかかったが、さすがに専門家だけに40分ほどで修復してくれた。利便性も高まった。
 
 その夜、旧友と一献傾けるが、食事もお酒も受け付けず、心配をかけることになってしまった。夜から激しい下痢に襲われる

●12月7日(木)『綴り方教室』
 豊田正子の『綴り方教室』と『生かされた命』を中央図書館で借りた

●12月6日(水)経営者と懇談
 京都で3人の経営者とイタリヤ料理店で恒例の会食
 オーナー経営者だけに本音の議論が聞けて楽しかった。この店にあった竹ペンで描いた絵を店の了解を得て撮影しました。これを見に行きたい方は下記のお店で食事されて、この絵を置いてある部屋(グループ使用)で見せてもらってください。夕食は予約された方がいいです。


 リストランテ ストラーダ(中京区御池通柳馬場東入ル 
                       п@075−241−0800)

●12月5日(火)季刊誌編集追い込み
 新年号だけに4P増ページで特集、準特集記事を取材、執筆を2〜3週間でやらなければならない。

●12月4日(月)岡山県の勝央町へ調査取材
 こういう地方へ行きますと、町長は「都市と地方の格差が大き過ぎる」と、若者の定着に一生懸命になっているのが実感します。

●12月3日(日)年賀状印刷
 今年はパソコンクラブで勉強した成果が多少、出せた年賀状を作成することができました。作品はHPでも公開しますのでご批評ください。

●12月2日(土)「いじめ問題」(参議院議員の森元氏報告)
 森元氏の第二弾を掲載します。
 
 いじめ問題(2)

 いじめは、何も今に始まったことではなく、学校に限らずどのような組織でもいつの時代にもあったことだと言われます。しかし、学校だけに限っても、今日、日本の小学校や中学校で頻繁に起こっているような集団による隠微な形のいじめは、少なくとも私達が子供の頃にはありませんでした。

 昔からやんちゃ坊主やガキ大将の1人や2人はどの学校にもいたものですが、それはあくまで少数派で、そのいじめもカラッとしたものでした。いじめに遭ったからといって登校できないような精神状態になるとか、まして自殺に追い詰められるようなケースはほとんど皆無でした。明らかに昔と今ではいじめの形態や中身が大きく変容しています。

 今のいじめが深刻なのは、昔と異なり大多数の者が見て見ぬ振りをするどころか進んで加害者の側に加わり、1人の弱い者を組織ぐるみで徹底的にいじめるケースが多いことです。しかも、いじめ方も直接暴力を振るうよりも言葉やメモで相手を冷やかしたり、からかったり、おどしたり、あるいは仲間はずれにして存在そのものを無視するという、陰湿な形をとることが多いことです。

 なぜ、このようないじめが横行するようになったのでしょうか。その原因はどこにあるのでしょうか。

 いじめはいじめる者がいなければ起こりません。よく、いじめられる側にも問題があると言われますが、いじめの標的になりやすい子供がいることは事実でも、いじめる側に問題の根源があることは間違いありません。

 いじめられている子供を救い出すことは、当面の処置としてまず必要なことですが、それだけでは問題の根本的な解決にはなりません。

 なぜ弱い者をいじめるのか、なぜ傍観者の立場を通り越して加害者の側に付くのか、いじめ行為に走る子供達のどこにその原因が潜んでいるのか。それを明らかにし、根元を断ち切らない限り、いじめは繰り返されます。

 いじめの根本原因は、子供達の心にあります。昔と今とでは、子供の心がどのように変わったのか、それはなぜか。それを一つ一つ解明し、打つべき手を打って行かなければなりません。

 今の子供達に不足しているもの、それは、他人への思いやり、相手の立場に立って考える力、他人と心を通い合わせ、付き合う術、自分の気持ちを抑える力、我慢すること、弱い者を助ける心、強い者、悪いことに立ち向かう勇気、社会のルールを守る精神などだと思います。

 その人の精神や態度、行動様式は、この世に生を受けてからどのような環境の中で、どのような躾や指導、そして教育を受けて育てられるかによって決まります。したがって、子供達の心や生活態度、仲間との付き合い方に問題があるとすれば、それが形成されて来るすべての過程をまず検証してみる必要があるといえるでしょう。
                    参議院議員 森元恒雄

●12月1日(金)デンマーク

 デンマーク人で京都に在住のニニ・ジャンセン女史を囲むディナースピーチに参加しました。デンマークと聞いてもピンとこなかったですが、ビデオで見る限り豊かな国に思いました。国土は九州程度の大きさで人口は約541万人です。
 ジャンセン女史のスピーチは「戦前の綴り方運動について」でした。いま、カルフォ二ア大学・バークレイ校で博士論文を執筆しているそうです。彼女の視点はあの言論弾圧の中で、とくに地方において自由に綴った作文が、ある種運動として展開されていたことに、日本の近代化とどう関わったのかということのようです。いまもこの運動は続いているそうです。
 

豊田正子の著『綴り方教室』が岩波文庫から出ています。

【参考にHP−あらかは文芸散歩から一部を引用します】

「あの『綴方教室』とは、昭和初期の大不況時代、東京下町のブリキ職人だった正子さんの父親も仕事がなく、一家はその日暮しのどん底生活をしていた。小学生の正子さんが先生から「真実をありのままに書きなさい」と云われて書いた綴方が秀逸で、文集に載ったのはよいが、それが原因で一家は夜逃げに追い込まれる。何と、それには母親が口を滑らした大家さんの悪口までも、そのまま書かれていたのである。これを知った大家さんの怒り、こっぴどく正子さんをどやしつける母親、オロオロするだけの父親、責任を感じて親身に心配する先生、といった庶民の人間模様を子供の目で素直につづったのである。

 これが当時、評判となり、正子さんは天才少女として、将来は林芙美子さんか、といわれたものである。私は高峰秀子さんが正子さんを演じた映画で、皆が寝静まった後、蚊群と格闘しながら、りんご箱の机で一生懸命に書いているシ−ンを鮮明に思い出す。」






12月の日記